ジャック・ロゲという人物をご存じだろうか。知らない、というならとりあえずWikipedia読んでください。
これは、現IOCの会長であり、オリンピック開催を熱望している東京都としては神に近い存在の彼の言葉が、実はあの「東京都青少年の健全育成に関する条例」改正の原因になったのではないか、という独自研究をまとめたエントリである。
発端は青少年問題協議会
条例の改正にあたって、石原都知事が設置、諮問した組織としてこの条例マニアにとっては重要な会議だった「青少年問題協議会」
メンバーを見ればわかるとおり、あの新谷珠恵や大葉ナナコ、前田雅英など、条例改正における諸悪の根源ともいえる面々が好き放題に発言して話題になったあの会議である。
この会議の第1回(平成20(2008)年12月24日(水))の総会で石原都知事の代理として登場(この会議、結局石原都知事は一度も出席していない)した副知事、谷川健次氏がご挨拶としてこんなことを述べている。
こういう状況の中で日本は今後どのように発展していくのかと考えたときに、東京都は今オリンピックの招致を一生懸命やっていますけれども、これは青少年の健全育成ということを大きな一つの目標にしているわけですけれども、それではなくて、日陰で困っている子ども、青少年も多々いる。こういう中で東京都としてもぜひ何らかの対策を講じて、これは一朝一夕に解決できない問題というのは重々承知しているわけでございますけれども、何とかとっかかりをつくって、子どもたちが健全に育成できる方策を講じていきたいし、また、そういう条例を改正しながら都民のために何とかしたいと、こう思っているわけでございます。
この前、IOCの会長であるジャック・ロゲさんから子どもたちを今3つのスクリーンから解放しなければならない、こういった発言があって、私、非常に印象に残っているのですけれども、1つはパソコン、1つは携帯電話、1つはテレビゲーム、こういうものから子どもたちを解放させて健全育成を図ろうじゃないかということが大事なことだと思っております。と同時に、先ほど申し上げましたように、そういうところから解放されて、健全に育つ素養を持った子どもたちはいいんですけれども、そうではなくて、既に聞くところによると少年院の退院者の再犯率が増えている状況にある。社会全体で保護司さんとも組みながら、日陰になりつつある子どもたちに、そうじゃなくて日の当たるところにぜひ出てきてもらおうじゃないか、これは私たち大人の本当の責任だというふうに思っております。
日陰の子は不健全らしい。犯罪も犯すし、再犯率も高いらしい。すごいや不健全。
それはともかくこの当時、谷川知事は五輪招致の担当副知事でもあり、ジャック・ロゲの発言を引用して、スクリーンに没頭する青少年を何とかしようとしている様子がうかがえる。
で、問題なのは「この発言、本当にジャック・ロゲ氏は言ったのか」という問題で、ちょっとツッコまれたんでさらに調べてみた。
原典は見つからなかったけど石原都知事は本人から聞いたらしい
今回原典を探そう、ということでこういう時は普通主語であるジャック・ロゲ氏の著書があれば適当なのだが、Twitterで石原都知事による「新・堕落論」という本に記述があるということなので、ちょうどマケプレ1円(+250円)だったし、自炊の経験も積んでおこうということで購入して分解、自炊を完了させた。
いやぁ老人の描く文章は本当に難しい漢字が多くてOCRも誤認識が多いこと多いこと。おまけに正しい文字も読めなくて意味が分からなかったり。
そんなことはいいとして、該当箇所はすぐ見つかった。というかWeb上にもあった。
IOC会長ロゲ氏 TV、携帯、PCが若者ダメにしたと語っていた
http://www.news-postseven.com/archives/20110215_12729.html
東京都がオリンピック誘致に努めていた頃、IOC会長のジャック・ロゲとヨットレースの話をしたことがある。
ロゲは私と同様、オーシャンレースにも出場するヨットマンです。私は日本外洋帆走協会の会長や理事だった時に、沖縄レース、小笠原レースなどを創設したが、最近では、若いクルーが集まらなくて出場する船がない。
私は最近、現役復帰してレースにも出ているが、長丁場の危険なレースとなると、確かに若いクルーがいない。なにしろ、エントリーしたクルーで一番若いのが60歳だから、沖縄からトカラ列島を通るタフなレースは諦めるしかなかった。
ロゲにそう話すと、「ヨーロッパでも同じです。若いクルーは金で集めないと乗らない」という。そして、「結局、若者を駄目にしたのは3つのスクリーンですね」というのです。それは携帯電話、テレビ、パソコンである、と。
確かに、日本ほどくだらないテレビ番組ばかりやっている国はめったにないと思うが、携帯にしてもパソコンにしても、機能ばかりが進みすぎて、それが日本人を堕落させてしまったことは事実でしょう。
これが新書になっているのが「新・堕落論」だが、こっちは改稿されていて
例えば今日世の若者達を変質、というよりもあきらかに質的に衰弱させているもの、新しい技術の所産が若者たちを含めて多くの人間たちを質的にスポイル、毀損している物は何か。
先年、東京へのオリンピック招致に奔走していてローザンヌのIOC本部で国際オリンピック委員会のロゲ会長と懇談した折り、彼も私と同じヨットのオーシャンレースの選手と聞いたので、日本では最近ヨットのための若いクルーにこと欠いて困っている、当節日本の若者たちは長丁場のタフで危険なレースは敬遠して船に乗りこもうとはしないと慨嘆したら、彼が、
「いやそれはヨーロッパでも同じことです。荒海でのレースに若い手を必要としたら、結局プロの有料クルーに頼らざるを得ない、全く情けないものです」
といいました。
「どうしてこんなことになったのかなあ、昔は長いレースに憧れた若者は、頼みもしないのに船の掃除をやってみせたりしたものだが」
私がいったら彼が首を傾げて、
「結局、三つのスクリーンの罪だろう。つまり携帯電話、パソコン、そしてテレビのせいだ」
といいました。
これらの新しい機械は現代文明を表象するものですが、その効用は多大なればこそ世の中にたちまち普遍はしたが、しかしその二万その効用と相償(あいま)って思いもかけぬ弊害をもたらしもしたのです。それは従来の文明が提供し得なかった、良し悪しふくめての、膨大な情報の氾濫です。それはある意味で人間を変質させてしまったともいえる。例えばここに読売新聞がものした、携帯電話の活用が若い世代、それも小学生、中学生たちの性風俗にもたらした空恐ろしい、ある意味では無残なともいえる実態の調査報告があります。その題名も皮肉なことに、「親は知らない」とあります。他人の子供ではなしに、まさしく自分が生んで育てている子供が親の価値観親の常識からはるかに外れて、ケイタイを活用して何をしているのか。その無残で空恐ろしい実態とは主に幼年、少年にもかかわらずの売春です。そしてケイタイを通じてそれに群がる大人たちがいる。
こうした異常な性風俗を支え拡大しているのはまさしく現代日本を支配している国民の我欲、即ち、物欲、金銭欲、性欲の発露以外の何ものでもありはしない。
文明の進展がその便宜性と相侯って実は人間をいかにスポイルし、人間自身がそれに気づかず荒廃している現象、社会心理学者が指摘する文化遅滞を表象する、文明の発展がもたらした極めて便利な道具の象徴的存在として携帯電話がありますが、それが作り出した現況について認識することは日本という先進社会の堕落を考えるためにも極めて大切なことと思います。
特にそれが若い世代、それも物心もつかぬ小学生たちや、ようやく自我に目覚めて大人になりたいとしている中学生たちに与えている実態について知ることは、適切な文明批判、ひいては世の中全体の反省のための良きよすがとなるに違いありません。
なんか壮大な話になってる。
ロゲ会長が言ったのは「最近の若いのは3つのスクリーンに夢中で実際の船に乗りたがらない連中が多くて困る」程度の話にしか聞こえないんですが……
IOCの立場的に言えば、当然そういうものに夢中で肝心のスポーツ人口が減少するのは困ることだと思いますが、石原都知事のようなスクリーンの害悪はオリンピック最大の収入源がテレビ等の放映権であることを考えると非公式でもそんな意味で口にするはずはないと思う。
またこの場に谷川副知事がいたのかどうかという点も気になるが、彼は五輪誘致担当なのでその場にいた可能性は十分高い。また聞きという可能性でも話としては間違っていないだろう。
で、この「新・堕落論」いろいろ面白い。
例えば問題の改正で各所から反対運動がおこったときの話
東京都は平成二十三年度の青少年育成に関する都条例の改正で、小、中学生を主題にした変態性欲、中学生の姉弟の近親相姦や、小学生の娘と父親の近親相姦、あるいは小学校の教師とその女子生徒との結婚生活などを措いた漫画の、作品で対象とされている年齢の子供たちの日に触れ得る場所への陳列を禁止する改正を行ったが、それは漫画の業界に多大な損害を与えかねないということでの強い反発を受けました。
これに反対する大手出版社の主たる言い分は、パソコンのインターネットではその種の作品が氾濫しているのになぜ漫画に限っての制約を行うのかということらしいが、地方自治体は自治体の限りで出来得ることを行おうとしているのであって、国家ワイドのインクーネットの問題は国家なり、大手の出版社や新聞といった幅広いメディアを預かる組織が、あくまで子供を取り巻く現況を改正し子供を救うために主唱すべきことではなかろうか。今回の大手出版社の反対論には肝心の子供の救済という主題が外され、あくまでインターネットとの比較で自らが失う利益への固執が目についてなりません。
……そんなこと言ったっけ?
「非実在青少年」にマンガ業界からリアクション続々
http://natalie.mu/comic/news/29214
太田出版が署名に同封した手紙(抜粋)
「同封いたしましたのは太田出版と関係のある著者・クリエーター・編集者等の反対署名です。太田出版は社員数25人の小出版社ですが、その我々と関わりのあるなかでこれだけの反対が集まりました。
もとより青少年が健全に成長することに異論はありません。しかし著作物に対し国法とは別の立場から不明瞭な倫理的規制を加えるべきではなく、ましてや今回課題となっている「非実在青少年」の規制は、創作表現にとって著しい障害となります。
そもそも創作は既成の概念に対しての違和感がその原動力となります。現在青少年が読むべき古典とされるものの多くは、その登場時点においては価値紊乱として多くの論議を巻き起こしたものです。時代の検証に耐え読者自身に選びとられたことにより名作として生き残りました。マンガ、映画などの映像においても同様です。特定の判断者が特定の基準で線引きすべき問題ではないと考えます。
今回の改正案はその規制対象が極めてあいまいであり、創作者はもとより、販売者を疑心暗鬼に陥らせ、新たなる著作物誕生の可能性を著しく阻害するものです。全国の都道府県にとって指針となる東京都が安易に成立させるべき改正案ではないと考えます。創作の貧困化はひいては青少年を健全に育成する土壌をも痩せ細らせます。ぜひとも採決への反対をお願いいたします。」
出版倫理協議会の「東京都青少年条例改正案」に対する緊急反対表明
出版倫理協議会 議長 鈴木富夫
出版物が青少年に及ぼす影響力は大きく、その社会的責任が重大であることは言うまでもない。出版に携わる者として、青少年の健全な成長を願い、そのための努力が必要であることは、十分認識している。
しかし、その責任は出版関係者が自主的に負うべきものであり、法的・行政的措置は表現の自由の立場からも慎重に討議され、最小限に留められるべきと考える。
このような観点から昭和38年に設立された出版倫理協議会では、青少年に見せたくないコミックやグラフ誌に対しては、出版ゾーニングマークをつけたり小口シール止めを施し、書店、コンビニでの区分陳列や対面販売を徹底するなど自主規制に努めてきた。
しかし、今回示されている条例改正案は、業界のこのような自主規制の努力をないがしろにするものと言わざるをえない。当協議会が特に問題と考える点を以下に列記する。
1.18歳未満と判断される架空の人物の性を描いたコミック等を規制しようとしていること。(コミックにおける登場人物は設定年齢よりも幼くみえたり、年齢不詳の場合も多く、当局の恣意的な判断によって、著作者や発行者への検閲や弾圧につながる怖れがある)
2.現行の児童ポルノ法において、「児童ポルノとは何か」の定義が曖昧とされているにも拘わらず、それを踏襲しようとしていること。(国会において定義の見直し論議を行っている)
3.児童ポルノの「単純所持」について規制しようとしているのは、権力の乱用につながりかねない。(国も論議中で未だ規定していない)以上の理由から、当協議会は論議不十分で周知されていないこの条例改正案に対し、反対の立場を表明するものである。
以上
●日本ペンクラブ声明
http://www.japanpen.or.jp/statement/penclub/post_219.html
少年条例改定による表現規制強化に反対する現在、東京都議会で審議されている青少年健全育成条例の改定案に対し、出版界の主要な団体やコミック作家などが強い反対の意を表明している。表現に対する規制強化の意味を持つ今回の条例改定については、日本ペンクラブも危惧を表明せざるをえない。青少年条例による規制は、直接的には青少年への販売や閲覧を制限するものとされるが、それが表現全体に影響を及ぼすことは明らかである。
そもそも性表現といった個々人によって受け止め方が異なる、デリケートな事柄については、国家や行政による法的規制や取り締まりを極力排し、表現者や出版社等の自律による自主的規制などによって対処するのが好ましいことは言うまでもない。
今回の条例改定については、今日に至るまで、十分な市民的議論に供せられることもなく、表現に関わる規制強化という重大さに比して拙速に事が運ばれている印象は拭えない。また、「非実在青少年」といった恣意的な判断の余地がある造語によって、表現行為が規制されることが好ましくないことも言うまでもない。さらに、改定案の中に含まれるインターネットの規制についても、公権力がフィルタリング基準に関与することにつき、活発な議論を通した上での合理的なコンセンサスが得られているとは、到底言えない。
表現に関する規制は、歴史的に見ても、恣意的な運用や拡大解釈の危険性が排除できず、表現の自由と、ひいては民主主義の根幹に関わる重大な弊害をもたらすおそれがある。なぜいま表現規制を強化しなければならないのか、納得のいく説明もないままの今回の条例改定について、日本ペンクラブは強く反対するとともに、同様な改定を予定している各地方自治体や政党に対し、開かれた場において冷静かつ慎重で十分な検討をすることを強く求める。
角川書店や講談社、集英社などのコミック10社会が東京国際アニメフェアへの参加拒否を発表 - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20101210_comic_10sha_taf/緊急声明
平成22年12月10日
12月7日深夜、角川書店の井上伸一郎社長がツイッターで表明した「東京国際アニメフェア2011」への出展取りやめは、瞬く間にネット上で大きな反響を巻き起こしました。
言うまでもなく、同アニメフェアの実行委員長は石原慎太郎東京都知事です。
石原都知事は、今回の「東京都青少年健全育成条例」改正に関して、たびたび漫画や漫画家に対する不誠実で無理解な発言を繰り返し、同改正案の成立を突き進めております。
「東京都青少年健全育成条例」改正に関しては、規制の対象が極めてあいまいであるとして多くの議論を呼び、本年6月に否決されたことは、周知の事実です。こうした改正案に新たに修正を加える場合、その内容と条文をあらかじめ公にして、議論を尽くすべきですが、今回、都側は、そのようなことを一切実施していません。この改正案は、最も重要視されるべき漫画家やアニメ制作者との話し合いが一度も行われないまま、今日に至っております。
また、提出された改正案についても、これまでの出版界と都当局との話し合いの歴史を踏みにじるものであり、規制の対象は依然あいまいで、むしろ拡大さえしています。
こうした経緯を踏まえれば、当事者である漫画家やアニメ制作者が、都側の一連の行動および改正案に強い怒りと不信感を抱くのは当然です。漫画家・アニメ制作者の、漫画やアニメの未来を憂える発言に対して、本来ならば石原都知事と都当局は、真摯に耳を傾けるべきだと考えますが、それさえ行おうとせず、事実誤認に満ちた不誠実な発言を繰り返し続けています。
我々は、こうした石原都知事および都当局の、漫画・アニメ制作者たちに対する敬意に欠けた態度に強い不信感を抱かざるをえません。
このような状況において、石原都知事が実行委員長として開催しようとしているアニメのイベントに賛同し、行動をともにすることは到底できるものではありません。
我々は、「東京国際アニメフェア2011」への協力・参加を断固、拒否します。
以上
コミック10社会
秋田書店 角川書店 講談社 集英社 小学館
少年画報社 新潮社 白泉社 双葉社 リイド社
インターネットの「イ」の字もありゃしませんが……あ、あったけど、全然関係ないし。
まぁこの出版倫理協議会 議長鈴木富夫という人物ですが、結局条例可決・発効したときに、自分の団体とエロ漫画の出版倫理懇話会に対して強烈なロリ規制を行います!と審議会で宣言した青少年健全育成審議会の審議委員です。一言で言うなれば犬です。
正直自主規制団体は東京都の犬、いや肉屋を支持する豚だと思って差し支えないと思います。こんなこと面白がってる自分も含めてねw
反対は主に出版界と作家たちからでしたが、不思議なことにその当事者たちは条例が対象としている本の作家や出版元ではなしに、たとえば大手のごく健全な会社や、日本ペンクラブといった手合いでした。彼らの言いぶんはこうした条例が強化されていくとやがては言論、表現の自由が侵されかねないということでしたが、それは被害妄想の域を出ません。
条例の趣旨はあくまでそうした表現を、幼い子供たちの目に晒したくないということだが、ならば反対を唱える者たちは、小学校の教師が教え子のクラスの子供と同棲して夫婦生活を営むなどというシチュエイションが、小学校の生徒たちの目に触れて何らの悪しき影響がないというのだろうか。中学に通う弟とその姉が遊園地に遊びに行って観覧車の中の性行為に始まり、姉が弟に勉強を教えてやっている途中に性交に走り、近親相姦の度が抑制きかずにきりなく深間にはまっていく様を、同じ年頃の子供たちに見せて何らの影響がないというのだろうか。反対を唱える者たちははたしてこうした非現実だが、人間の欲望を刺激する著作を自分の家におけるというのだろうか。
自分の作品こそ置けるのか、と聞きたいがそれについてはもう謝罪されてしまい、追及は困難になっている。
本を読んでその影響を受けるかどうか、そしてどんな影響を受けるかどうかはまさに神のサイコロなみに未知数でありこんな決めつけはありえないというのがえふすくの立場なのではっきり異を唱えます。
こんなことを臆面もなく語る裏にはやっぱりこういう部分があるんですよ
しかしなお、神々をも超える人間にとっての絶対的価値はあるはずだと思う。
動物の中で唯一情念を持つ人間にとって、死んでしまった神が表象した以上の価値がない訳はありません。カントが人間の特性として宗教的なるものへの予感について指摘したように、もともと不可知なる「神」は人間が創り出したものなのですから。
だからいかなる信仰をも超えた、つまり神も超えた人間にとって基本的な絶対的な価値はあるはずです。それは人間一人一人が家族を含めての他者との関わりでこの世界を構築している限り、その関わりを根底で支える、いわば人間の人間としての存在そのものに関わる価値、時代や文明文化を貫き超えて垂直に、いや鉛直に繋がる価値のはずです。
それは人間関係における基本的な情念にのっとったものであるはずです。その基本的情念とは、古めかしく響くかもしれぬが、愛であり、それが育む信頼ともいえるでしょう。
人間は神を超えた存在であり、その人間である自分にはその絶対的価値を理解できるという妄想が描かれています。
人間の内面における危機を何をもって計るかという論はさまざまにあろうが、私は人間にとっての情報が真正(ジェニュイン)なるものとして提供されれば、それを踏まえての選択や行為は、当人にとっても他人にとっても正しいものたり得ると思います。
もってまわったいい方に聞こえようが、情報にもさまざまあって純粋に科学的な公理、原理やそれを踏まえた真実の真正性は当然のことですが、ことが価値観を踏まえてのものである場合、その情報の価値とはいかなるものであるかという問題になります。
ならば、絶対の価値なるものがこの世に在り得るのかということですが、人間は感性がありそこから派生するそれぞれの情念がある限り、人間には他の動物とは違ってそれぞれの存在を反映させるそれぞれの価値観はあるといっても、なおその違いを超えた時代や立場をも超えて垂直な、というよりこの地上を生命的存在の場として与えられている者としての絶対的な存在の軸、つまりジャイロが明かす鉛直な価値と真実が在るはずです。
端的にいって、それが人間の道、つまり世の道徳ということでしょう。
そしてそれを自分には提供できると思っているようです。
正直「この人、完全に前頭葉死んじゃってるなぁ」と思いました。退化した前頭葉の持ち主は引退すべきって言ってたのに自分では忘れちゃうんですよね。わかります。
えふすくも前頭葉は死にかけですが、いろんな人に否定されっぱなしなのでそんなこと絶対思いません。でも老いたらやっぱりこうなっちゃうんだろうなぁ……
その他「日本人の堕落・我欲を説く」つもりで書かれたらしいこの本ですが、結局のところこの人自身の我欲と堕落を描いたある意味こっちの方が賞に値するんじゃないかという見事なエンタメエッセイでした。
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