2009年10月21日水曜日

第29回 放送倫理検証委員会 議事概要を読む

第29回 放送倫理検証委員会 議事概要(2009年9月11日開催) http://www.bpo.gr.jp/kensyo/giji/2009/029.html  さて前月はお盆休みで休会?(青少年委員会はそう記述されている。放送と人権等権利に関する委員会は開催)になっていた放送倫理検証委員会ですが、7月からの積み残しであり、結果を総括する2つの議題から話し合われました。
1. バラエティー番組の問題点について
 前回の議論を受けて委員会としては「意見」(「勧告」「見解」の違いは?)を出すことに決定、実際に事務側が作成した決定文について議論した模様。  放送倫理上の問題点については了解されたものの、表現に関してはまだ届いておらず、また改訂をしたうえでもう一度話し合って決定文を通知・公表へとのこと。  どう見ても結論は見えないので「勧告」「見解」なんてものにはならないわけですが、今になっても決定文が出ていないのを見るに……  じゃ、意見。
バラエティー番組にはエスプリ、ユーモア、発想の大胆さ、面白さがある。形を変え、姿を変え、出演者を変えて、いろいろなアイデアを生みだして今日まで生き続け、しかもどんどん広がってきた。そのエネルギーを評価しなければいけない。
バラエティー番組の歴史的な経過を書いておくことが、すなわち「バラエティーの価値は新しいものを作り出すことにある」という基礎的定義になってくる。
何も定義する必要はない。歴史的にはこのような形でバラエティー番組が展開されてきたが、その中で、今、問題になりうる要素は何かを考えたのか、ということが示せればそれでいい。
バラエティーが、例えば報道番組や教養番組と混ざり合う時に、バラエティー的な目的と、報道・教養的な目的とがどこかでぶつかる。その時にバラエティー的な目的を優先させて報道的な事実に対する扱い方を損なうと、問題が発生する。
報道問題の軸は客観性や公正さだ。それに対して娯楽番組を作るときは表現の自由だ。「あなたたちがしっかりしてくれないと憲法21条が危ないですよ」といいたい。
検討した番組資料から言えるのは、テレビ局の責任体制の空洞化と事後対応が全く機械的にしか行われていないこと、それから、視聴者や関係当事者による指摘があってはじめて問題が明らかになったこと-の3点だ。
バラエティー番組共通の問題として、かつての時代と比べてメディア環境が変わり、経済的な圧迫が強くなっているけれど、制作者はお金がないならないなりに努力しようとするはずだ。しかし現実は、知性とか感性とかエスプリの感覚が劣化しているように思われる。
番組をつくる当事者自体が試みとして、何でも自由にやるというのは、番組向上の基本だ。バラエティー番組というのは非常にポジティブな価値があって、正にテレビの原点であるということはきちんと言うべきだ。
 バラエティに誇りのある方が多いようで。
2.虚偽証言をスクープとして放送した日本テレビの報道番組『真相報道バンキシャ!』
 お待たせ。前回の「勧告」により謝罪訂正放送をさせられることになった『バンキシャ』反省会。  番組を見たうえでの話し合いとなったようで、その結果「この訂正放送で『勧告』は履行された」ということが委員会で了承されました。  ……終了?  でも文句はあるようで……
放送日が予定より1週間延びた理由と、ほぼ同様の内容を2回に分けて放送した理由は何だったのか。
 ホントホント、予約して待ってたのに前日に延ばされて、その後も深夜まで粘って見たのに夕方とほとんど何も変わってないし。
いろいろな不祥事があると、責任者が並んで立って頭を下げて謝るが、あれは何なんだろう。検証番組の場合は、あの場面は要らない。
 一応礼儀の問題だと思うけど検証番組には本当に要らないかな。
勧告書は、テレビ的演出論についても言っているが、検証番組ではそれについてふれられていなかった。むしろそちらのほうが大事だと思う。
 そういえば演出面での指摘は検証されてなかった。というか、問題の放送自体を引用していなかった時点で検証とは言えなかった気がする。 しかし半分報道番組だった『バンキシャ』でそれを検証されるともう局を問わずすべての番組が本当に見えなくなるかもしれない。  具体的には「勧告」の27ページ、
3.テレビ的な「実物」誇示  本件放送の冒頭、番組キャスターは1枚のキャッシュカードを手にして、「『バンキシャ』のスクープです」と切り出し、「ある自治体の裏金が入っている口座のキャッシュカードの実物です」と言っている。  これこそ、テレビである。スタジオに実物を持ち込むと、とたんに画面がナマの感じになる。視聴者はスタジオと同じ空気を吸い、同じ時間のなかにいる気持ちになる。これは他のメディアが絶対に真似のできない芸当である。  だが、本件放送の流れをたどってみると、このキャッシュカードには何の意味もないことに気づく。このあと情報提供者が、岐阜県の土木事務所のX職員が作った裏金口座に200万円を振り込んだ、云々の告発証言をするのだが、そこで説明されるのは、裏金の作り方や送金のカラクリなどであって、いくら目を凝らして見ていても、キャッシュカードの出番がない。  いまや情報提供者の証言が虚偽であったことが明らかになっているが、だからこのキャッシュカードもいい加減だったというのではない。本件放送が告発した08年11月5日の裏金送金が事実だったとしても、このキャッシュカードが使われる機会はなかった。理由は簡単で、情報提供者はパソコン操作のネットバンクを利用して、裏金口座に送金したと言っていたからである。
 ※結構この勧告内での番組の分析はうまくできていると思うので、今後似たような番組があったら参考にするといいと思う。
社員と外部のディレクターの2人だけは顔を写さない映像にし、ほかの人たちは実名だった。あの違いは、視聴者に対してあの2人がすごくいけないことをしたかのような印象を与えてしまう。
 顔が出ないのことに疑問は持っていないがあれだけのメンツをそろえておきながらこの2人だけが悪いことをした、できたとは思えなかった。
こうなった原因はこれだ、そうしなければよかった、という反省はされている。しかし、なぜちゃんと取材をしなかったのか、なぜ上と下の間の、また現場と本社との間のコミュニケーションが上手くいかなかったか、が抜けているので検証とはいえない。
 前述のとおり、番組自体の検証がされていないので検証とは言えないと思う
この「なぜ」の部分はヒアリングのときにも聞いたが、やはりきちんとした答えはない。取材不足になったのは情報提供者を保護しなければならない、の一点張りだ。
放送の不祥事は放送でかえすべきだ。つまり検証番組を促進するという意味で最大限に評価したい。
 報道番組同士で他局を検証すればいいと思うよ。
いわゆる"検証番組"のパターンができてしまったという感じがする。みんなで頭を下げて、ここは本来やるべきことができませんでした、というふうに中身がなくなってどんどん形式化していくと思う。何か新聞の謝罪広告みたいだ。
 元々不祥事起こした企業に対して記者会見設置してテレビや新聞が作った謝罪方法じゃないですか。
委員会の意見書を公表したときの記者会見時の映像が多すぎて、非常に違和感がある。何でそれに寄りかかってこの番組を作ったのだろうか。自分たちの言葉による検証番組とはいえない。
 だって視聴者じゃなくて委員会の勧告に従ってるだけだから。
一応、それなりに意思が表れているけど、何か「やりましたよ」というアリバイ作りみたいなものを感じた。例えば訂正放送について今後検討すると言うけれど、今回はあそこまで指摘されたのだから、「私たちはこのような訂正放送とすべきでした」といったことがあるのかなと思ったが、全くなかった。
講義形式の研修などをやっても効果がないというのははっきりしているのに、どうしてああいうものしか思いつかないのだろうか。
 教えて、他の方法。
『バンキシャ!』のスタッフが全員集まって頭を下げるよりかは、あの30人、一人ひとりの生の声を流したほうがよかった。それでうまく構成していけばよいものができたと思う。
 みんなで頭下げれば怖くない。
ともあれ、「勧告」に従って検証番組を制作し、それを放送した事実は高く評価するに値する。委員個々人の感想はいろいろあるだろうが、委員会としてはそのことをきちんと認める必要があるし、それで十分なのではないか。
 ドヤ顔?
3. 容疑者が護送される航空機内における取材について
千葉で女性を殺害し、その娘を連れて逃亡した容疑者の男が沖縄で逮捕され、航空機で東京に護送される機内の模様がテレビ3社により取材、放送された。機内の取材は、機長の許可を受け、客室乗務員の指示に従って行うのが基本ルールである。ところがある局のニュースは、客室乗務員から「他のお客様の迷惑になるので、お席にお戻りください」と度重なる注意が行われたが、それを無視して取材が続行されたことが分かる内容の放送であった。この放送に対して、視聴者から多数の苦情が寄せられた。本事案に関しては当該3社から報告書を求め、それをもとに討議した。
 さらに千葉に着いてからこんなこともあったようです  ※これだから千葉なんだよとは (コレダカラチバナンダヨとは) - ニコニコ大百科  残念ながら、旅客機内の動画は見つかりませんでした。  一応該当した3社(『NEWS ZERO』のフジ『日テレNEWS24』の日テレ『ひるおび』のTBSらしい)に報告書を要求、回答を待って議論に入った模様。
ある報告書には「(客室乗務員から)口頭で言われただけで、機内アナウンスされたことはなく、同行する警察官やほかの乗客からも抗議や注意はなかった」と書かれている。これで取材側のエクスキューズになると思っているのだろうか。
容疑者を取材している記者やカメラマンを単に非難するよりも、あの映像を見たときに機内でこんなことをしていいのかと、むしろそちらのほうに疑問を感じた。つまり、マナーの問題ではなく法律に触れる問題ではないのかということだ。そういう縛りがかからないかぎり、プロとしては取材するだろうが…
 プロならばそんな取材してもいいと……まぁプロですよ。おそらく最悪映像だけでも撮ってくることを命じられた下請けだと思いますけど。
客室乗務員に注意されても撮影を続行できるのは、そこまでしても報道する価値がある取材対象だという場合でなければ正当化されないと思う。
 そこまでしても報道する価値があって自分が逮捕・拘束されていいならね。
客室乗務員がやめてくださいというような深刻な事態が起きていたのかどうかは、この映像からだけでは判断できない。それを判断したのは取材者であり、その姿勢をどう見るかだ。
 判断できない動画らしい。しばらくしてから音声を弄って注意された部分を削ったみたいだし。
取材はしかたないとしても、その映像をあとでどう放送するかは、場合によっては人権問題にも関わってくると思う。今回の映像を見た感じでは、あれを流してはいけないというようなものではなかった。
 開き直って人権問題に投げたよ。
報道を呼び寄せたのは捜査側ではないのか。であるのならば、この場合モノを申すとすれば、放送局に言うべきなのか、警察に言うべきなのか、どちらなのか。
 逆ギレたよ。放送したのは放送局だよ。ここは放送を審査する委員会だよ。
客室乗務員の注意を無視する機内の映像も、その後の高速道路の追跡取材の生中継も、放送する側は重大事の貴重な映像であるかのように扱っているが、本当にそうなのか。
 後に発生する「のりピー保釈&大追跡」は9月17日のことになります。果たしてどうなる事やら……

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